No.25 ホロコーストの歴史を知る。<後編>

この後編のアップが、偶然にもイスラエル滞在期間と重なってしまった・・・民族とか、紛争とか、宗教とか、そういったテーマに痛いほど触れる毎日で、脳みそが常に興奮状態で、頭痛が止まらないわ、眠れないわの日々・・・。間違いなく、来てよかったNo.1の国だ。。。エルサレム、パレスチナ内のイスラエル入植地近辺、分離壁を訪れ夫婦揃って頭かち割れるほどの衝撃の連続です・・・。ということで、ホロコーストの歴史に学ぶ<前編>に続いて<後編>を書きました。

★自分の信念を貫いてユダヤ人を助けようとした人たちがいた

国中どころか欧州の大半がナチス一色に染まる中で、ひっそりと自らの信念を全うする人たちもたくさんいたらしい。

映画「ソハの地下水道」は、ある下水道処理業者ソハが、14ヶ月もの間ユダヤ人を下水道にかくまい、何度もゲシュタポに見つかる危機に瀕しながらも、助けたという実話に基づいている。彼が最初からユダヤ人を助けたいと思っていたのではないし、そういう活動をしていたわけでもない。むしろ空き家になったユダヤ人の家から金目のものを奪い売りさばく、ちょっとしたワルだった。ある時下水道内で隠れるユダヤ人たちに出くわし、徐々にソハの人間的な心の部分が動き出す。そして、彼は、命をかけ、彼らを助けようとしたという物語だ。そんなソハを側で見守る妻も次第に彼に協力をし始める。14ヶ月が経ち、ようやく地上に出られらその日、ソハは奥さんのケーキとお酒を振る舞い、喜びを分かち合う。その後、皮肉にもソハはソ連軍の暴走トラックに轢かれそうになった娘を助けようとし、命を絶つことになる。

映画「戦場のピアニスト」のあまりにも有名なクライマックス(その俳優がイケメンすぎだし!!)。

ドイツ軍大尉が1人の天才ピアニストにパンを渡し、コートを渡し、缶切りを渡し、命を助けるシーンも、まさにだ。このドイツ軍大尉ヴィルム・ホーゼンフェルトはピアニストのシュピルマンだけではなく、他にもポーランド人や多くのユダヤ人を水面下で救っていたとされる。解放後、ソ連軍の捕虜となり、3年後に亡くなってしまうのだけど・・・。

リトアニアで、ユダヤ人難民を救うために、自らの意思で、6000枚もの手書きのビザを何日も不眠不休で、彼を乗せた列車が発車するその瞬間まで発行し続けた日本人外交官・杉原千畝や、日本にたどり着いたユダヤ人の15日しかないビザを、日独同盟下の環境の中で、なんとか延長する手筈を整えた小辻節三。(余談だが、エルサレムでリトアニア系ユダヤ人から声をかけられ「昔、ユダヤ人にビザを発給してくれて助けてくれたすごい日本人がいるんだよ!」「スギハラ?」「YES!!」と言うやりとりがあった)

「シンドラーのリスト」のシンドラーしかり、絶対的なマジョリティの存在やその空気が支配する中で、こうしてその人自身の信念に則って意思を貫き、行動した人たち存在していたのも事実だ。共通しているのは、最初からユダヤ人を助けようと思っていたわけでもない。さらに、超人的な精神力や度胸をはなから持っていたわけでもない。ただ、彼らの中で起こった出来事に対する、彼らなりの解釈がすごくピュアで人間的だったからこそ、”ほっておけなくなる”とか”どうにかしたくなる”、そんな衝動にかられたんじゃないかなと思う。こうして行動できることは、もしかすると人間の本当の強さなのかもしれない。

もう一つ。ナチスに占領された国として唯一、ホロコーストに対抗した国がある。それはデンマークだ。

8000人ものユダヤ人が当時デンマーク住んでいたが当時の国王が先陣を切り国民が一丸となって、救済に当たった。本当かどうかはわからないが、取り巻きたちに、「我々もダビデの星を腕につけて街を歩こうじゃないか」と言ったという話もある。強制移送の直前に船で中立国スウェーデンに逃したり、赤十字配下の収容所に匿ったりと、実に8000人のほとんどを匿うことに成功。のちに、アウシュビッツ日本人ガイド中谷さんに伺うことができた終戦後の話。もともとユダヤ人が住んでいた家は当然、家財は奪われ、その家には別の人が暮らしているというケースがほとんどだが、デンマークの場合は、違ったという。近所の人が庭を掃除して、ユダヤ人の帰りを待っていたのだ。また、ほとんどのユダヤ人を救った中、約十数人の命を助けられなかったことに対して、国王が国民に向けて謝罪をした。これらの後日談は、この国の道義レベルの高さを裏付ける。そそくさとナチスに加担する被占領国がほとんどだった中で、なぜ、デンマークだけが違う対応をできたのか?大きなうねりにのめり込まれることもなく、毅然と対応ができたのか。5月にデンマークを訪れその後各国を周る中で、改めて、デンマークのすごさを感じることは多々あった。モラルの高さ、個の意思の尊重、そして、何よりも強く感じた人間としての成熟感のようなものは、この時すでに積み重なっていたものかもしれない。

★現在のドイツにおける強烈な歴史認識

欧州に900万人もいたユダヤ人のうち、600万人が亡くなったとされるこの悲惨なホロコーストに対する、ドイツの歴史認識とその教育における事故否定の徹底度合いは、強烈だ。約5週間滞在していたドイツの首都ベルリンでは、それを強く感じることができる。

ホロコーストで亡くなったユダヤ人の慰霊碑、建築物そのものが胸を突き刺すほど強烈で圧巻のベルリンユダヤ博物館、

ベルリンに住んでいたユダヤ人達を強制収容所に移送するための始発駅、亡くなったユダヤ人の名前を刻んだ金属のようなものが道のあちこちに埋め込まれていたり、ナチスの秘密警察の本部の跡地に展示されている、テロのトポグラフィー。。。

全部をまわれないほどに至るところにある。そして、それらを訪れるたびに、必ずと言っていいほど、ドイツの小学生や中学生くらいの年齢の子ども達の課外授業が行われている光景を目にする。実際、ドイツの学校では、アウシュビッツを始めとする、かつての強制収容所に必ず全員が行くことになっているという。

「もう小学校の時からとにかく学校で教え込まれすぎて、アウシュビッツの見学に行くのはtoo much だし辛い」お会いして話を聞くことができた現役高校生の方のコメント。彼女は決して過去を否定しているのではない。生まれる前の出来事を痛いほど学び、同じことを起こしたくないということは痛感している。それでもなお徹底される歴史教育によってまるで同じドイツ人として十字架を背負わされているような印象さえ受けた…

また、徹底した歴史認識は、独特の生活規定にも反映されている。

「お母さん、ドイツではね、手をあげる時、パーではなくて”1(人差し指を立てる)”なんだよ」と現地の幼稚園に通う子どもも言う通り、タクシーを止める時もウェイターを呼ぶ時も、パーではなく、1。これは、ヒトラーへの敬礼と本来の挙手が近しい事から、容易に想起させたり過去を肯定してるように見えるため、一貫して、禁止されるようになった。また、つい1ヶ月ほど前だが、国会議事堂の前で、ヒトラーへの敬礼ポーズをして記念撮影をした中国人観光客が二人が逮捕されるという事からも見られるほどにセンシティブな話だ。2006年ドイツW杯で、ドイツの勝利を祝うべく、国旗を持って国民が街に繰り出し熱狂したその光景を、当のドイツ国民たち自身が「ドイツもようやくここまで変わった」と感じるほど、敗戦後は、ドイツ国旗はもちろんのこと、サッカーで心からドイツを応援することにさえも罪を感じる人も多かったという。

アウシュビッツとビルケナウの3キロの距離を結ぶシャトルバスは、全てドイツから贈られたというバスだった。また、多くのドイツ人たちが、アウシュビッツで掃除などのボランティア活動もしていた。いわゆる加害者側と被害者側の歴史認識は戦後紆余曲折を経ながらも、「一致」していること自体、世界でも稀にみるケース。今日の周辺諸国との友好関係をみると、この国から学べることは多くあるのかもしれない。

★最後に

アウシュビッツは戦後70年経ったいまもなお、訪問者が増加し続けているという。ガイドの中谷さんは、何度もその理由を「時代の要請」と言っていた。そのアウシュビッツで、見たある一つの光景が忘れられない。イスラエルからのツアー団体がアウシュビッツを訪れていた。ダビデの星の側を背に被り、他の国のガイドの声が聞こえなくなるほどの感情のこもった大きな声で一つ一つを説明していた。

私はその光景と、今、イスラエルで彼らが行なっていることのギャップの大きさはどのように理解すればいいのかわからなくなった。言葉を選ばずにいうと、ゲットーに押し込められた本人が、ゲットーを作ってしまう。そんな感覚。写真は、イスラエルとパレスチナの境にそびえ立つ、イスラエル側が建築した全長400キロ、高さベルリンの壁の2.5倍の隔離壁。通称、アパルトヘイトウォール。

エルサレムにあるホロコーストミュージアムは、この旅で数多く訪れてきたホロコースト関連の施設の迫力を軽く超えるほどのスケールだった。

ホロコーストをこんなにも生々しくリアルに体現させたイスラエル、ここまでして過去を伝えたかったイスラエルが何故、、、と。。人間の「性」だからとシンプルに片付けられるほど、諦めが早くてはならない。

朝鮮半島にルーツをもつ自分自身、小学校から民族学校に通う中で、歴史の被害者として歴史を教わることが多かった(過去の植民地支配など)。そこに疑問も持たぬまま幼少期を過ごした身ではあるが、大学以降の人生や今回の旅、特にホロコーストの歴史を学ぶ過程で、より強く思うようになったのは、「加害者側」とか「被害者側」という二極の視点のみから出口が見つかるほど、ことはシンプルではないということ。また、特に経験していない身が、被害者「意識」(加害者「意識」も同様)を持つことは、は時に本質さえも見失ってしまう。片方からしかものを見れない訳で。

過去を直視することも、謝罪やそれを受け入れることももちろん大切なんだけど、どっち側であっても、同じことを繰り返してしまう危うさを人間は持っているし、その人間の弱さを理解し、いつでも起こりうる、自分も“しでかすかも知れない”という前提に立って置くことが、何より大事なんじゃないかと思えるようになった。

そういう検索軸自体をを持つことで、流される前に、未然に『察知』ができる。流される前に、持論を持つ機会を得られるんじゃないかと!!

そんなことを、一連のホロコーストを巡る冒険から学んだ。

Ryon


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