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No.17 チェコとポーランド(アウシュビッツ)の7日間のフィナーレは大惨事、、、

チェコで、ハーフマラソンにエントリーしていたこと、その会場から車で2時間ほど行くと、世界最大の負の遺産と言われるアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所があるということで、この2箇所を軸に、ルートを決めた。こんなルート。(とてもマイナーなルートです。プラハ→AブルノB→オロモウツ→Cクラクフ→Dアウシュビッツ→Eチェスキークルムロフ→Fプラハ)

※ちなみに、旅の計画にまつわるあらゆるタスクの夫婦間の役割分担はこんな感じ。 Ryonは、えーいつくらいに、どこらへんを、どんなコンセプトで、どれくらいの予算で。よし、こういうルートで行こう!ここに泊まりたい!ここはドライブがいい!ここは列車!!こんなお店があるらしい! Kuniは、旅程表に基づいて、バスや列車の切符を、確実にミスなく予約、オートマ車が置いてあるレンタカー屋探し、闘牛みたいということになったから闘牛チケットをスペイン語を解読しながら購入したり・・レストランを予約。時に、無理しようとするRyonの性格を鑑みて、それは子供にとって、行けるか行けないかを体の負担面から検算。目下直前に迫ったモロッコで、最近はてんやわんや。モロッコはたぶん3000キロくらいの話になるから。

★チェコとビール。

チェコといえば「息をのむほど美しいと言われるプラハの街並み」が1stインスピレーションという人が多いと思う。

が!!「息をのむほど美しい街並み」と同じくらい欠かせないのがある。それはビール。チェコのビール!ビールといえば、ドイツとか、ベルギーのイメージが強かったが、チェコは、なんと23年連続、国民一人当たり消費量一位らしい。どれくらいかっていうと、大瓶663mlを一年で225本飲んでいる計算らしい。これは日本の3.4倍。(※キリンビール大学より)もちろん一人当たりには、飲酒が禁止されている幼い世代も入っているので、もっと、もーーーっと飲んでいるという計算になる。 肝心の味は、、、うますぎる!!変なケミカルな後味がない・・そして、料理はビールのためにある?というくらいに、ビールを飲みたくなる、こんな感じの、肉の丸焼き系が多い。​

​ハーフマラソン直前に、肉の丸焼きに大ジョッキは禁物とわかりつつも・・・グビグビってこういう時のための単語・・しかも安いよ・・・驚くほどに・・・大ジョッキ150円。ほんまかw(ちなみに、ハーフマラソン直前5日は、子供と”お母さんがお酒を2杯以上飲んだら、アムステルダムで、おもちゃを買ってあげるという”賭けをしてしまい、子供達はめずらしく私に飲め飲めと強要。もちろん、あっさり敗北。) チェコには、チェコ人がいかにビールを愛してやまないかわかるシーンがたくさん。 プラハの街並みに溶け込む、代表ブランド「ピルスナーウルケル」の看板。

​ブルノで見た光景。夜になると、大ジョッキ片手に、広場に集まり飲み始める。オロモウツでも、ハーフマラソン中に、沿道で応援してくれる人たちのほとんどは片手に大ジョッキを持っていた。

また、こんなことも。チェスキークルムロフからさらに奥に行った人口30人ほどの村には、売店、スーパーはないのに、ビールバー「だけ」はある。夜になると、老若男女問わず、この場でビールを飲みだす。

私たち家族も混ぜてもらえて、一緒にビールを飲んだ。ちなみに、ビールバーと言ったのは、メニューがビールしかないから。料理はもちろん、ナッツとかビーフジャーキーすらない。ただただひたすら、生ビールをお代わりし続ける。70歳くらいのおじいちゃん、二十歳くらいの若い男女も、仕事帰りの父ちゃんも、みんな一緒に飲んでいる。​子供達も遊んでもらい・・・。

​「よくこうやって集まるぬの?」と聞くと、「毎週、水曜日、あとは金曜、土曜、うーん、日曜も・・火曜もかな?。」それ毎日っていうんだよ!!ドイツの比にならないほど、とーにーかーく「ビール」を飲んでる人が多い。 ★チェコの街並み

はい。「プラハの街並みは息をのむほど美しい」は本当だった。しかもある一部分とかではなく、「どこを見ても」本当に美しい。心がずっと感動している感じ。怪我さえしてなければ、超早朝誰も起きてない時間帯にプラハの朝焼け独り占めツアーとか、超夜中に夜景独占ツアーとか、色々企てていたんだけど、骨折の翌日はさすがに痛くて痛くて、あまり動けず。。。。写真もそんなにありません。。。プラハだけでなく、ブルノも、オロモウツモ、チェスキークルムロフも!!一つだけ言えるのは、いつかかっこいいおじいちゃんと、チャーミングなおばあちゃんという夫婦になることができたら、絶対に再訪したい!!

★子供達の遊ぶ場所はあるか?

しかし、Sato’s Adventureの主役は、親ではなく家族。子供は親に連れられひたすら街を歩く。ビール、街並み散策にまだ学校にも行っていない子供が興味を持つわけもなく。「えー?またテキトーに散歩?」とか、「またお城?」とか、親の好みだけで行動すると即ブーイング。家族で世界旅行となると「家族全員が楽しい」をどう実現するかは必然のテーマとなる。なので、大人だけだと絶対に行かないような場所にも多く訪れます。チェコは多分5箇所ほど、公園やら、巨大なアソボーノやら2人が存分に楽しめるところも訪れた。探し方は、どこの国に行っても同じ。まずは、Google翻訳で、playgroundをチェコ語に変換。(※parkは、遊具主体ではなく、広大な野原や緑の公園を指すので、playgroundで検索する方が見つかる)その単語をコピペして、ググると、いくつか候補が出てきて選ぶことができる。写真は、その中の一つ、インドアプレイグランウンド。

偶然なのか、全てがそうなのか。チェコで訪れたこれらPlaygroundは、全て真横に、オープンカフェが併設されており、ビールが飲める。しかも!!wifiが完備。親は、そのテラスから子供達が遊ぶ姿を眺め、ビールを飲むことができる。海外まで行って、公園?と思われるかもしれないし、私たち夫婦もそのようが考えが、当初があったが、これがまた面白い。遊具や安全に対する考え方が国それぞれで違っていたり。世界中には、その遊具で指に傷ができただけで、撤去する国もありますからねっw親の見守り方(がっつり側で見守る国もあれば、遠くから眺めて、子供が他の子と喧嘩しようが放置する国まで)が違うので、それ自体を肌で感じ、知れることは普通に面白い。その背景まで聞き出せるとなおのこと、面白い。 ポーランドクラクフとアウシュビッツ。

プラハin プラハoutのルートの中間地点に置いたのはポーランド第三の都市クラクフ。最大の目的地は、クラクフから1時間ほどの距離にある、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所。クラクフ市内にも未だに旧ユダヤ人ゲットーの跡が残る。この椅子は、“椅子を一脚とその上に荷物1つ”と制限され、このゲットーに移されたユダヤ人達が、その椅子を持ちながら連れてこられ、何日も何日も

待たされた広場で、皮肉にもこのようなモニュメントとなっている。これは、今もなおその面影残るクラクフの旧ユダヤ人ゲットー。

​1930年代後半から終戦まで、ゲットーからアウシュビッツに収容された主にはユダヤ人たちが、どんな生活を強いられていたのか、その後の歴史認識の衝突や一致の経緯などは、貪るほどに読んだ本にたくさん記述があったし、わざわざ訪れる必要もないという人はたくさんいた。クロアチアでも、明確に「Don't go」とか「too much」と言われた。それでも強烈に行きたいという感情が消えなかったのは、どこかに、私個人(今でこそそんな感覚もなくなったが)が、マイノリティとして日本に生まれ、受けた教育内容により、(大げさにいうと)不必要なほどにマイノリティを意識しすぎた過去からの影響が大きい。なので、ナチスドイツやヒトラーそのものよりも、その時代をドイツやポーランドを中心とするヨーロッパで生きた大衆たちがどのような自己暗示のもと、マジョリティ側にたち、マイノリティを排除する大きな力に決定的に加担して行ったのか、また、少なからず存在したその逆の人たちの心理や意識の変化に興味があった。そんな中でどうしてもアウシュビッツに行き、お会いしたかった、アジア人ではじめてここのガイドになった中谷さんとの予定を奇跡的に調整することができ、念願の訪問が叶うことになる。ドイツ語で、「働けば自由になれる」と書かれたこの門は、アウシュビッツの象徴。

この後、アムステルダムで、訪れたアンネフランクの家で考えたことや、8月に再訪するベルリンでなるベく当時の方、または、当時をよく知る方にお会いし、もう少し生の知見を貯めて、この場を借りて自分の言葉で書いてみたいと思う。Ryonがそんなに行きたいなら行こうという感じだった旦那も、アウシュビッツでの中谷さんの出会いは頭がかち割れるほどのカルチャーショックがあったようで、私達夫婦にとって意味のある訪問と出会いとなった。

クラクフとヴィエリチカ岩塩坑

クラクフという場所は、

世界で一番最初に世界遺産に登録されたヴェリチカ岩塩坑がある。世界最古の製塩企業で、地下300メートルをなんと階段700段!?下ったところにある。地下300メートルにこんな広場・・13世紀にどんな風に作られたのか不思議で仕方ない。

壁も塩でできていて、子供達は、指でガリガリ壁を削っては舐めて「しょっぱい!!!」と何度もその動作を繰り返し、子供達なりに楽しそう!

凄いのは、ここで働いていた人たちが、ただ塩を作るだけではなく、信仰の為に、塩で礼拝堂を掘りあげたり、神話上のモチーフの彫刻を作り上げていること。

その醸し出す神聖な雰囲気と塩から放つマイナスイオンのような空気の調和で、独特の世界観が出来上がっていた。かつて首都だったここクラクフも、本当に美しい街並み。そよそよと風がふき、川も流れる。

間違いなく、アウシュビッツがなかったとしても訪れて良かったと思える場所だった。

チェコに戻り。そして、大惨事。

ポーランドクラクフに癒されつつ、再びチェコに入る。チェコ、ポーランドにおいても滞在は民泊ベース。その中で良くも悪くも一生忘れないのはチェスキークルムロフでの一泊。街自体が世界遺産に登録されているチェスキークルムロフ。童話の世界が小さな街全体に広がる。そんななか、チェコの田舎料理を出してくれるらしい!とのことで、宿泊先に選んだのは、中心から10キロほど離れた、小さな村にある一軒家。そして、ホストのIvaの料理は優しい味がして、ビールとがつーり肉で疲れた胃にとてもよく沁みた。ハーブのディルと、ミルクで作ったいんげんのシチュー。ボイルしたジャガイモにピンクソルトを添えて。

家庭料理に飢えていたのか子供も大人もペロリと完食。チェコの複雑極まりない歴史の話、何故大戦後にチェスキークルムロフに多く住んでいたドイツ人が追放されることになったのか、ナチスドイツの話から子育てを終えたIvaが何故ここに移住したのか、そんな会話を楽しみながらのディナータイム。SOTAが外を散歩したいと言い出し、旦那とIvaを置いて子供たち2人と外へ。夕日がキレイで手を繋ぎながらぼんやり眺めていたら、急な下り坂でいきなり弟が走り出す。「危ないやめて!!」。次の瞬間、前歯が飛び出し血まみれになってる弟。歯をなんとか戻し出血も落ち着きホッとしたところで、村の人たちとの飲み会参加し家に戻ってからのさらなる大惨事。夜中にトイレに行こうとし、踏み外して階段から豪快に転落。痛いのを我慢して眠りにつくも、痛くて眠れない。肩を触るとおまんじゅうのような確かなる腫れが…。力を振り絞り深い眠りにつく旦那に「お願い、、、冷蔵庫から氷を持って来て」と何度も言って、やっと帰って来た返事が「転んで時間たつし、冷やしても意味ないよ」。そして絶望の中で朝を迎える。そんな発言をした記憶もない旦那が私の症状を見て、「病院に行こう」と、急遽、予定を大変更しプラハの大病院へ。ネットでも多くの情報があるが、元会社の後輩がプラハに住んでいて彼女の紹介でチェコ最大の大学病院に向かう。おいおい、人生トラブルだらけだけど、これはあんまりだ、、、これからスペインとかモロッコ行くのに何故だ?と何度も思いつつも、どこか、妙な感情(ま、いつものことだ)とか、(左肩でよかった)とか、さらにはそんな感情を超越し(最初からこうだったのではないか)という開き直った感情さえ湧いて来た。診断は左鎖骨骨折。全治5週間。ちなみに、同時に小児歯科で受診した弟は歯を再度歯茎にはめ込み、こと無きを得る。親に服着せる娘、左鎖骨側でふざけたり暴れたりしない弟、私のバックパックを前に背負い後ろに自分のバックパック。40キロの荷物を担いで両手は子供と手を繋ぐ旦那。「お母さんみたくなっちゃうから、階段はゆっくり降りよう」と親の失敗を教訓に変える子供たち。この怪我を通じて家族の結束が高まったことは言うまでもない。

予想だにしない、飲んだくれて食い倒れて歩き回りたい国スペインの直前にして、首からスリングを吊るし、

直角に腕をキープし続けるという条件が加わ流という、Sato家の出来事となった。写真は、ハーフマラソン完走した瞬間とその数日後の転落のビフォーアフター。 Ryon


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