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No.22 旅立ちから3ヶ月。子ども達の変化。

旅立ちから3ヶ月が経ちました。

四六時中子どもと一緒にいることなんて本当に人生ではじめてで、正直旅に出る前は「そう言えば、夫婦でバーとかにいけなくね?」なんて、冷静に考えたらわかることも想像できないまま出発。

でもこうしてどっぷり家族で過ごすのはこの旅が終わったらもうないかもしれない。いろんな国をまわっていろんなものを見ていますが、そのことよりも、家族でずっといるということ自体が最大の贅沢かもしれないと思う今日この頃。

さて、デンマーク→ドイツ→クロアチア→ボスニア・ヘルツェゴビナ→チェコ→ポーランド→オランダ→スペイン→モロッコ→ポルトガル→ドイツと渡り歩いて、今はベルリンの幼稚園に通い始めています。

旅立ちから1ヶ月後の変化については、こちらをご参照頂きつつ、ここ3ヶ月での変化について、夫婦でこんなん変わったかもねーと会話したことを書いてみたいと思います。

まずは長女のShiki。

◆佐藤家の、遠慮がち我慢ちゃん。自己主張強いちゃんへの変貌 物心ついてすぐに弟ができたが故の姉御肌か、あの子の性格なのか、自分の意志よりも遠慮して周りの子に譲ったり、状況を見て判断することが多かったShiki。

人に優しくできることは良いと思いつつ、そのために自分を抑えたり、我慢したりする、いわゆる”いい子ちゃん”的な傾向があったのが、親としては気になるところでした。

それが最近では、「四季ちゃんこうしたいの!」というシーンが多くなり、

・人にモノを貸すのではなく、自らが獲る!

・自分が行きたい場所、着たい服、食べたいものを頑固として譲らない。

・意見が合わない時は(悪)知恵を使って自分が得をするように仕向ける。

という、若干イラつくほどの、自己主張の変化ぶりが見てとれます。

これ、明らかに、海外で出会う同年代の子ども達が、かなりフリーダムにやりたいことしているのを見て感化(覚醒)している。例えばベルリンの園の給食も、何を食べるか、残すか残さないかも全て自己責任であり自由。日本の園では、出されたものは全部きれいに平らげるが基本。子供達は、給食シーンに置いてもかなりフリーダムらしい。"〇〇であるべきだ" とか "ねばならぬ"というリミッターが外れ、本人の欲求が形となって表れた感じだ。

このワガママの芽生えが良いのか悪いのかわからないものの、Shikiにとっては、より子どもとして健全になったのかなーと思っております。

◆誰がお母さんか問題、、、しっかりさんに磨きがかかりました。

お母さんが鎖骨骨折で不自由なため、自分がお手伝いをするんだと色んな手伝いをしてくれてたShiki。

鎖骨骨折を良いことに「あれもできない」「これも無理」と、指示だけを繰り広げるいつものお母さんを尻目に、Shikiはお母さんを超えるしっかり面を見せてくれました。

・スペインで着替えのできないお母さんの着替えを用意し着せてあげ、脱いだ服を片付けまでする娘

・段差、階段の直前で声をかけてくれる娘

・周りが見えてない親に道の犬のフンが近づくとアラートをくれる娘

・モロッコでゴ○ブリが出た時に、安静しなきゃなのに絶叫して飛び跳ねたり逃げ回る母親を、「動いたら危ない!」と押さえ込み、冷静に対処する娘

・食事の時、親が肘をつくと即座に正そうとする娘

・今ちょうど手が空いたけど、何か手伝おうか?とその言葉尻まで母ちゃん化している娘

・ドイツで赤信号を渡ろうとする母親(彼女の認識は青信号)を「おかぁ!」と言って、塞き止める娘(複数回)

もはや自分のことは自分でやるShikiに、お母さんという役割が移管される日も遠くないかもしれない。

◆自分の”体験”をアウトプットできるようになった

運動系というよりは文科系女子なShikiは、絵を描いたり、お人形さんごっこが好き。

昔の絵は、割と単色で「自分とお母さん」とか「〇〇ちゃんと、四季ちゃん」のような、あまりバリエーションがなかったのですが、ここ最近の絵に変化の兆しが。

beforeは、、、

afterは、、、

・色彩が単色からカラフルになり、人間だけでなく、周りの背景も含めて一枚の絵に。これは、園から「丸」お題だけを出されて描いたもの。

・登場人物も多岐にわたり、自分が体験した出来事を、詳細に絵に起こすことが楽しいみたい。

例えば、砂漠キャンプの一日。ラクダを引いてくれたラクダ使い。ラクダとラクダがきちんとロープで繋がっていること。ラクダの背中にかかっていたブランケットがカラフルだったこと。そして、テントで一晩過ごしたことが一枚に表現されていた。(絵の技術自体はもちろんまだまだ。決して上手とは言えないがw あくまでの絵を構成する要素の話by Ryon)

これもまだ未完成ではあるが、直近書いた新作。モロッコの時の絵と比べても人が人っぽくなっている!幼稚園のお友達に、ちゃーんとSotaも入れてあげるという配慮!!ちなみに後ろのひょろっとしてるのはベルリンのアイマークである電波塔w

・これまで描いてきた絵を紙芝居のようにして、関連性が一見ない絵と絵さえも、空想上で話を繋いで、即興紙芝居をするようになった。

例)【お母さんと四季ちゃんが買い物】→【帰りに雨が降ってきた】→【家で遊んでたら寝ちゃった】→【起きたら砂漠でラクダに乗ってました】

Shikiの中では、ベルリンの至るところに存在する壁画や、モロッコの豊かな色彩をきれいだと思ったことや、ラクダに乗って、砂漠で夜を過ごすなど日本では体験したことのない経験が印象に残っているみたい。また、絵の描き方が変わったのはベルリンの幼稚園で毎日色んな絵をアウトプットしていることも大きいと思うと、これからも楽しみです。

そして、弟であり長男のSota。

◆アグレッシブさだけは、世界レベル

親が「それをやったら危ないかも」というラインは、欧州の国々の中でも違います。

僕らが見ていた中では、比較的デンマークやチェコ、スペインは親が怪我をしないよう、よく観ている印象を受けましたが、ドイツは「行けばわかるさ!」的な、日本だったら「おいおい!親、止めろ!」みたいなことも平気でやっちゃう国です。

が、そのベルリンの先生をして「ヒー イズ リトルビット ワイルド(苦笑)」と形容するほど、瞬時に男の子達の輪の中に入り、コケたり何だりして、笑いをとっている。

思考と行動の全てが、一言で言うと「当たって砕けろ」な感じ。

レストランでも、率先して、「えくすきゅーずみー」「えくすきゅーずみー!!」「えくすきゅーずみー!!!!!」それでも振り向かないと、しまいには「すいまセーーーン!!!」。

Thankyouと言って相手の反応が薄かったら、"Danke"とか、"オブリガード"とか、"ぐらしあす"をとにかく片っ端からあてにいって、相手の反応をなんとか得ようとする。

園でも、お友達の輪に入ってみればいいじゃんとアドバイスすると一目散に突撃しては、豪快に転ぶ。そういう一つ一つが、実は彼の愛嬌という魅力になりはじめていて、相手の印象に残っているケースが多い。実際にお店のスタッフ、道端で出会った人などからは、Sotaの方がよく可愛がられるシーンが増えている。

そのアグレッシブさゆえ、「歯が半分抜ける」からの、「歯がくっつく」というチェコでの経験も、彼にとっては普通なのか。末恐ろしいのは親です。。

◆ありがとう。ごめんね。が少しだけ言えるように。

日本の保育園でも、海外生活が始まってからも、なかなか”ごめんね”が言えなかったSota。悪いことというのは分かっていても、おちゃらけて素直に”ごめんね”が言えなかったり、「だって、〇〇ちゃんが〇〇したんだもん」と他責にするのがクセでした。

ここに変化の兆しが。なぜ言えるようになってきたのか。親がことあるごとに内省を促して根本から変わったから!と言いたいですが、まだまだカタチ的に謝る感じ。「ごめんね、ごめんねー!」とおちゃらけたとしても、言えたことを褒めつつ、何が悪かったのかは聞くようにする。

つまりはお調子者の性格なので、”褒めることで行動が変わり、それが当たり前になったらいいなー”とか思ってると、コトの大小によって謝り方が真剣になったり、自分の何が悪かったか?を自分から言うようになったという兆しです。

公園で遊んだお友達にも自分のおもちゃを貸してあげるようになりました。

正直、人として当たり前の話なのでお恥ずかしい限りですが、幼稚園でもSorryは言えてるようなので、引き続き見守るかな。

◆”なんでも口にしてみる”がすごい!

持ち前のやってみよう精神は磨きがかかり、特に”なんでも食べてみようシリーズ”はもはや親の楽しみになっていますw 

ムスリムがラマダンあけに飲む「ハリラスープ」。薬草やセロリの香りトマト、まめ、玉ねぎなど多様な食材が具沢山に入っている。それもペロリ。レバノン料理?ベロリ。イカスミ?大好き!見た目がグロテスクだと、食べたがらないのが特に子供の場合普通だが、ちゃんと一度は食べて見て、味で好きかどうかを判断する。これはえらい。

まあ、これのおかげで、プチおデブになるも、1度も風邪を引かないのは素晴らしいか。ただ、エグゼイドとキューレンジャー好きなのは以前として変わりません。

そして、2人の変化について。

◆とにかく、逞しくなりました!

旅が当たり前となると、毎日歩いて移動が当たり前になります。日本の保育園時代は10分も歩くと、まだぁ?という感じでしたが、今では自分のリュックを担ぎながら1日5km歩くのも、普通になりました。

モロッコでは8時間の夜行バスで朝の4:30に一度降り、6:00からバスに乗り継いで2時間半後に目的地に着いたのに、片道30分を歩き、一日中昼寝もせずに渓谷で川遊びができるという体力のつきっぷり。大人が寝たい・・

長距離移動も、事前にどれくらい長いのかを親に聞き、「じゃあ、最初はお家ごっこで遊んでそのあと少しおやつ食べて、お昼寝して、最後に昔話みよう」と、自分たちでどう過ごすかのプランを考えていた。

あれだけ虫嫌いだったShikiもハエがたくさんいようが、蛾が飛んでいようが、関係なく遊ぶように。

人間、環境を変えると進化できると分かってはいたものの、子どものポテンシャルはスゴい。。

もはや”そういうもんだ”になっているので、「あの夜行バスより短いよ」と言うと「なーんだ。」となるのは、面白いです。

◆なんで?シリーズの拡大

2人とも”なんでシリーズ”が止まらず、大人も考えさせられます。

・(モロッコでイスラム教の女性が被るヒジャブを指して) なんであの人は暑いのに、黒いのしてるの?

・(スペインで闘牛を観に行き、牛が殺されたのを観た後) なんで人間と牛が闘わなきゃいけないの?

・(ドイツでゴミが平然と捨てられているのを見て) なんで日本はゴミを捨てないのにドイツは捨てるの?

・(ポルトガルでトゥクトゥクがあるのを見て) なんでクロアチアやドイツでは、電車やトラムなのに、ポルトガルだけトゥクトゥクがあるの?

・あげく、モロッコではラクダに対してシュールな問いかけ。

これらは一例ですが、質問が一問一答形式にならないのが最近の2人。深掘りされると質問が本質的になり、「なんで神様は何人もいるの?」「確かにそうだよねー」なんてシーンも。

親にとってもありがたいのは、恥ずかしいけど分からないことは「ごめん、お父さんも分からないや。」と伝えて勉強できたり、例えばヒトラーの話でさえヒトラー=悪と言わずに「2人はどう思う?お父さんはこう思うけど」という風に対話ができることだったりします。

史実には様々な解釈が存在しますし、宗教のテーマは本来、選択の自由がある。日本にいる時の感覚で善悪や白黒を教えずに、互いに対話しながら彼らがどう思うか?を促す、僕らも改めてどうか?を考える。ずっと一緒にいると、子どもは親の評価を気にしがちなので、親が正解にならぬよう、気をつけなきゃなーと思うところです。

Shikiに至っては、物乞いや、少し手伝ったらすぐお金を要求するモロッコの人たちを見てきた中で「なんでモロッコは汚くて、仕事があまりないのに、あんなに綺麗なモノ(可愛いお皿などを指差して)を作れるの?」との問いに、「なんでだと思う?」とあえて切り返すと、少し間を空けて「モロッコの人はお金がなくて、仕事もあまりないから、頑張って綺麗なモノ作って売ろうとしてるんじゃない?」という答えが。

「なんで?なんで?」ということを繰り返し、自分で考えることで、少しずつ自分の意見や想像の範疇が広がり始めているのが見てとれます。正解探しが得意な長女が、様々な新しい刺激に触れることでShiki Worldが広がってくれてると思うと、すごーく嬉しい兆しのシーンでした!

◆チョコレート事件

ドイツへのフライト時、これまでやらなかった約束を破る事件が起きました。買ったチョコレートは1日1つ食べることにしようね、とお母さんと約束したにも関わらず、機内で全部食べてしまったのです。しかも、隣に座る親の目を巧みに盗んで。

しかも、「あれ?明日のチョコレートは?」と聞くと、食べたこと自体を隠して嘘をつき、事件が発覚しても謝らずにタダをコネていました。

お母さんが”約束を破られ” ”嘘をつかれ” ”謝らなかった”というスト3連発にショックでこれまでに無く叱ると、反省して泣きまくるという展開に。(Sotaは泣き疲れて寝る始末)

さて。僕らは実は、後から考えるとこれが嬉しかった。

ある種の強い主体性の表れで、2人で親を出し抜いた。親からすると大変ですが、より主体性をもってやりたいことを実現する2人になってくれたらなーと思ったりします。※今は、空腹をチョコレートで満たすのがゴールですがw

さて。そんな2人も壁にぶち当たってくれてます!

入園してしばらく経ち、慣れてきた幼稚園では、4歳&5歳児ゆえの言葉が通じないことの壁にぶつかり、クラス別の時間が終わると2人で遊んでしまい、迎えに行ったら待ってるシーンも。

どうしたら、この壁を乗り越えられるか?幼稚園の後半戦が楽しみです!!

Kuni & Ryon


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