No.8 生き方を学ぶ学校、フォルケホイスコーレ

僕のデンマーク編のblogエントリーも終盤です。

今回のテーマは"働く"と"教育"シリーズ

デンマークに興味がある人なら聞いたことがあるだろう「フォルケホイスコーレ」という言葉。

19世紀中頃に神学者であり歴史家でもあったN.F.S.グルントヴィが提唱し、創設されたデンマーク独自の教育制度。「農民に学びを」という言葉を残したように、国籍、人種、性別、障害の有無に関わらず入学できる成人学校を指します。(国内で70校ほど存在)

今回お邪魔させて頂いたのはNordfyns Hojskole(ノーフュンス・ホイスコーレ)という学校。

デンマーク第2の島、フュン島はボーゲンセ郊外にあり、まぁ僕がバスで降り立って思ったことは「グリム童話みたいな場所だな」ってこと。

イメージ、青森。でも建物グリム童話。そんな自然溢れる学校で、どんな世界が繰り広げられているのか。

お話を伺ったのは山本勇輝さん。そう、日本人です。

ここノーフュンスはその昔、「日欧文化交流学院」という名前で社会福祉、医療、教育を専門に学べる学校として、「世界一幸福な国デンマークの暮らし方(PHP研究所)」などを書かれた千葉忠夫さんが創られた、日本に所縁のある場所。(渡航前に千葉さんの本を読んでいたのに全く知らずに突撃インタビューするという 苦笑)

僕は専門家でもないので「フォルケホイスコーレとは、こうぞ!」的なのはここでも書きません。が、この後の話が見えなくなってしまうので、簡単にどういう特徴があるのかを記載すると、

・主要科目は文学、語学、芸術、工業技術、体育、心理学、哲学・・・など

・どの学校も主要科目とは別に、文化的/創作的科目を選択する

・1ヶ月〜1年

・寮生活

・入学から卒業まで一切の試験なし

・卒業しても資格は取れない(それが目的ではない)

・生徒同士、生徒と教師同士で学び合い、人間として成長することが共通コンセプト

というもの。

すごい良さそうな響きだ。寺子屋風味で、万人が学ぶべしとは。

と、思う一方で、違和感を覚える人もいるだろう。

専門科目を学ぶのに、その知識の習得も資格も目的ではなく、人間としての成長とはどういうことかと。

極めて典型的な日本人の"働くと教育"の捉え方からすると「それって無駄じゃない?仕事の中で、知識も成長も得られるし」「どうせ学ぶならMBAとか行って、知識も資格も成長も得たほうがキャリアに活きるし」そんな声さえ聞こえてきそうだ。

この点について山本さんは淡々と答える。

「自分を理解すること。これが最大の学びであり、成長だったりするんですよね。」

ある優秀な日本人の留学生が先生の言葉を必死にメモをとって聞いている。そんな彼に、山本さんは「コミュニケーションできてないよ。」と諭したと言う。話者の表情や身振り、そこに流れる空気、他の聞き手のそれを含めてコミュニケーションじゃないかというのだ。

またある社会人が言う。「先進的な社会福祉を学びに来たのに、なんで乗馬なんかやらなきゃいけないのか?時間の無駄だ。」※上述の文化的/創作的科目の1つ と。山本さんは「そこから何を学ぶかですね」と答えたと言う。落馬する、馬が怒る、走ったり蹴ったりする、その行為や体験に対して自分がどう思うか?を考えるのだと。

僕はこの2つの話が、フォルケホイスコーレというものを象徴的に表していると感じた。

ある留学生のとった行為は、極めて勤勉で模範的な行為だ。大切な機会に最大限学ぼうという姿勢の現れだ。そしてそう捉えること自体が、一つの"ものの見方"であり、その自分のメガネに気付けるか?というのがテーマだったりするわけだ。

その気づきのために山本さんはヒントをくれただけであり、正しいコミュニケーションはこうである、ということが主旨ではない。そのメガネに気づいた彼は、これまでとは違うコミュニケーションを経た上で、新たな気づきを得ることができる。

ある社会人の発言は合理的で、ツッコミの余地もない。むしろ山本さんの発言の方が普通、理解し難い。だが、ふと考えてみる。落馬の体験で何を思うか?

「お尻が痛い、落馬のポイントはこれか、意外と乗馬って楽しい、そう言えば友人と競争しようとした、競争で負けたら遊びなのに悔しかったな・・・」どう思うかの対象は、落馬の"事象そのもの"から、"自分自身の内面"に変わっていくのだ。そこから自分自身を知る一端を得る。実際にこの社会人の方は、3ヶ月後、発言が180度変わっていたという。

ここでは、何が学びかも教えない。

国籍、性別、年齢、宗教観、その全てが多様性に富んだ人間たちが寝床を共にしながら、

世界のエネルギー問題を議論したり、

自分の最大の幸せは何かを語ったり、

一緒に工作をしたり(※素敵な写真の被写体は工作の先生)

一緒に編み物作ったり、

一緒にサウナを造ったり、

キャンプファイヤーをしたり、

ビニールハウス造ったり、

オリンピックをやろうと企画する。(※写真は発起人。ストップウォッチとホイッスル持ってる)

それはグローバル企業で多様な人たちと共に仕事をすることや、留学やMBAなどで多様な人たちと共に学ぶこととは、少し違う。

生活する上での異質度合いが極めて激しい中で、自分の"ものの捉え方"に気づき、自分の"内面"に耳を傾ける。

何のために生きるのか。

ここはそれを学ぶための、機会を提供する場なのだ。

でも、あえて聞きたい。

「学ぶ」「気づく」ためには、方法が必要だ。

学び方や気づき方が分からない人は、「自分で学んでください」というだけでは変われないのではないか?そうはいってもフォルケホイスコーレという場が提供している価値は他にないのか?

山本さんの答えはこうだ。

「学び方をどこまで支援するかは先生に依ります。そもそも、先生も生徒から学ぶという立ち位置なので、先生と生徒というよりはみんなで、という感じですね。ただ、この環境下で自分の意見や意思を主張するのは、特に日本人にはハードルが高い。そういう意味では、"どんな人のどんな発言も相手が受け入れてくれる"ということは、この学校がそうなのか、デンマークがそうなのか、他にはない価値かもしれませんね。」

ここに一人の生徒がいる。75歳の女性。日本から短期留学だそうだ。

千葉忠夫さんの同級生で、彼がキラキラと語るデンマークをこの目で観たくて来たのだとか。

「こないだも英語よく分かんないのに2時間もシャワーのように聞いたわよ。分からない時どうするか?周りに聞いちゃう(笑)慣れてきたらね、私も会ったこと無い国の人と意見交換できるでしょ?けっこう、楽しいもんよ。」

アジア諸国の若者たちと終始笑顔でランチしていた彼女に、僕は山本さんの真意を見た気がした。

Kuni


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